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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 平教経⑥さらばおれら死出の山の供せよ

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$吉備路残照△古代ロマン-平教経入水  平教経入水直前 平家物語歴史館  香川県高松市

讃岐の屋島における義経軍との戦いに敗れた教経は、自分と瓜ふたつの家臣に身代わりを命じ、平家再興の望みを捨てきれず、安徳天皇を奉じて阿波の祖谷へ落ち延びた。

三種の神器のひとつである草薙剣をたずさえている。

壇ノ浦でひとしきり暴れ回ったのちに入水した剛勇の士は、教経本人ではなく家臣だったのだ。

本人は、教経の名を封印して国盛という幼名に戻り、祖谷地方を平定して、阿佐に住みついた。

祖谷の阿佐家の人々は平教経直系の末裔であり、現在も平家の赤旗と呼ばれる大小二流の旗と、系図および宝刀を所蔵しているそうだ。

二流の平家の赤旗は、本陣用の大旗と戦場用の小旗で、それぞれ「八幡大菩薩」の文字が書かれ、小旗には平家の紋の「向かい蝶」が描かれている。
→   (平教経④頼朝に会うて、ものひと言いはん 写真参照)

国盛は、承元2(1208)年に死去したという。

国盛の長男の氏盛は阿佐氏を、次男の盛忠は久保氏を名乗り、彼らの子孫は阿波山岳武士と呼ばれた。

阿佐氏は、鎌倉時代から南北朝・室町時代と生き抜いて、戦国時代には金丸城主となった。

「阿波国旗下幕紋控」に、鈴江氏および守貞氏とともに平家の家紋である「揚羽蝶紋」を用いたことが記されている。

また、『阿波国徴古雑抄』によると、三好氏に属して、細川氏と対立した三好氏を金丸城にかくまったこともあるという。

江戸時代、蜂須賀氏が阿波に入ると、20石を給付された。

いま、阿佐氏の住居は「平家屋敷」として、秘境祖谷の観光スポットになっている。

         ……       ……

○能登殿ちつとも騒ぎたまはず、まつ先に進んだる安芸太郎が郎等を、裾を合はせて、海へどうど蹴入れたまふ。

教経は少しも騒がず、真っ先に挑んできた太郎の家来を、裾を合わせて海へ蹴り込まれた。

○続いて寄る安芸太郎を、弓手(ゆんで)の脇に取つてはさみ、弟の次郎をば馬手(めて)の脇にかいばさみ、ひと締め締めて、「いざ、うれ、さらばおれら、死出の山の供せよ」とて、生年二十六にて、海へつつとぞ入りたまふ。

続いて太郎を左腕の脇に挟み、次郎を右腕の脇に挟んで二人を締め上げ、「おのれら、冥途の山へ供をしろ」と、壇ノ浦の海へ飛び込まれた。享年26.

    …… 原文に忠実な訳ではありません ……


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