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平家物語の群像 平教経⑤いかに猛うましますとも

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$吉備路残照△古代ロマン-能登守教経  能登守教経 月岡芳年

吾妻鏡は専門家にとって鎌倉時代研究の基本史料だそうだ。

基本史料に間違いがあっては、そこから派生する研究成果が全ておかしくなるだろう。

ところが、教経についての記述は間違っている。

教経は、一の谷の戦いで討ち取られたと記しているのだ。

ここでも、教経と腐れ縁の義経が絡む。

一の谷で、義経軍の安田義定が教経を討ち取った。

義経らは、そういうことにしていた。

そして、京へ凱旋してほかの平家の公達とともに都大路を引き回したとき、見物人の間から、「教経の首は本物ではない」という声が上がった。

関白九条兼実の『玉葉』(客観性の高い基本史料)等の公家日記にも、一の谷の戦いにおける死者の中に教経の名はない。

法然に帰依しているほどの兼実本人は、重衡による南都焼き討ち事件以来、平家を嫌って源頼朝に近い。

なお、壇ノ浦の戦いを記した同時代資料『醍醐雑事記 巻十』の「自害者」の項に、「能登守教経」の名前が記されている。

義経が戦果を誇示するために教経のニセの首を加えたとすれば、あまりに愚かと言わざるを得ない。

愚かというよりも、にわかには信じられないレベルだ。

そして、それをそのまま記載した鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』もどうかしている。

義経からの報告以来、一の谷の戦いと教経に関する情報は鎌倉に入らなかったのだろうか。

原文では、いよいよ教経が壇ノ浦に飛び込みそうだ。

入水を待ってもらって、『落人伝説』に戻らねばならない。

         ……       ……

○安芸太郎、能登殿を見たてまつて申しけるは、「いかに猛うましますとも、われら三人取りついたらんに、たとひたけ十丈の鬼なりとも、などか従へざるべき」とて、主従三人小舟に乗つて、能登殿の船に押し並べ、「えい」と言ひて乗り移り、甲のしころを傾け、太刀を抜いて、一面に打つてかかる。

太郎が教経を見て、「いかに勇猛であられようと、われら三人が組みつけば、たとえ身の丈十丈の鬼であろうと屈服させられないことがありましょうか」と、主従三人で小舟に乗り、教経の船に並べ、「えい」と乗り移り、甲の首筋をおおう部分を傾けて太刀を抜き、いっせいに打ってかかった。

    …… 原文に忠実な訳ではありません ……

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