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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 平教経④頼朝に会うて、ものひと言いはん

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$吉備路残照△古代ロマン-祖谷の赤旗 平家の赤旗 地福寺蔵 祖谷

平教経(国盛)は、『平家物語』では壇ノ浦で入水、『吾妻鏡』では一の谷で討ち死に、『落人伝説』では阿波(徳島)の祖谷へ逃れて生き延びた、ということになっている。

三者三様だが、断るまでもなく教経は一人しかいない。

それでは、どの説が史実なのだろうか。

平家物語と落人伝説は、それぞれ『物語』であり『伝説』だ。

必ずしも、史実でなければならないという制約はない。

平家物語は作者の思想や主張を平家の興亡を借りて表現した文学作品であり、落人伝説は「はかなく散った平家ゆかりの人々にもっと長生きしてほしかった」という一般庶民のあたたかい同情と願いの結晶なのではないだろうか。

それではなぜ、史実ではない場合でも、彼らにまつわる子孫や遺跡などか各地に現存しているのか。

教経と安徳天皇の最期に関しては細部はともかく、平家物語の記述が正しいということが明らかになっている。

つまり、史実としては、二人とも壇ノ浦で入水している。

それなのになぜ、祖谷に『阿佐家』という教経の末裔といわれる人々が暮らしていたり、安徳ゆかりの「装束石」や「皇上の手橋」などの遺跡が現存しているのか。
この辺の事情に詳しい方がもし読まれていたら、教えて頂けませんか

吾妻鏡は初代将軍の源頼朝から第6代・宗尊親王までの鎌倉幕府の事績を、北条氏の立場から編年体で記した歴史書

可能な限り、史実に即して書くべきものだろう。

          ……      ……

○能登殿、大音声をあげて、「われと思はん者どもは、寄つて教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉へ下つて、頼朝に会うて、ものひと言言はんと思ふぞ。寄れや、寄れ」とのたまへども、寄る者一人もなかりけり。

「われこそと思う者は、教経に組んで生け捕りにせよ。鎌倉に下って、頼朝に言いたいことがある」と大声でおっしゃるが、近寄る者はいなかった。

○ここに土佐国の住人、安芸郷を知行しける安芸大領実康(さねやす)が子に、安芸太郎実光(さねみつ)とて、三十人が力持つたる大力の剛の者あり。われにちつとも劣らぬ郎等一人、弟の次郎も普通には優れたるしたたか者なり。

土佐の住人で、安芸郷を領有していた実康の子で、実光という30人力の剛の者がいた。そして、実光に少しも劣らない家来が一人、弟の次郎も人並みすぐれた剛勇の者だった。

    …… 原文に忠実な訳ではありません ……

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