坂東武士の家に生まれたからにはひたすら武芸を磨き、いつしか大きな手柄をたてて立身する。
あわよくば、広大な土地を所有する。
直実の前半生は、敦盛のことがあるまで、それに向かって猪突猛進していたのではないだろうか。
一の谷においても、源平の戦いの決着がついたあと、大きな手柄を立てようと平家の大将クラスの武将を探し回っている。
つい先ごろまで、敦盛のいとこにあたる平知盛(とももり)の家人(けにん:家来)であった直実が、である。
もし、どこかで知盛と遭遇していたら、相手が旧主でも一対一で命の奪いあいをしたのだろうか。
それはともかく、手柄を立てようと、戦い終わった戦場の周辺を馬で走っているうちに、味方の軍船に逃れようと軍馬を泳がせている、立派な身なりの敦盛を見かける。
そして、「逃げるのは卑怯ですぞ。お戻りあれ」と呼び止めた。
それにしてもなぜ、敦盛は屈強の荒武者目がけて馬首をめぐらしたのか。
「卑怯」といわれて誇りが許さなかった、という程度の単純な理由ではあるまい。
文科系の部活に所属している高校生が、命をかけて悪役プロレスラーに立ち向かうようなものだ。
しかも、陸地にはまだ源氏軍がひしめいているということも分かっていたはず。
まちがいなく、17歳にして玉砕覚悟の行動である。
敦盛は哀れにも、死地を求めたとしか私には思えない。
…… ……
○「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものかな」とかきくどき、袖を顔に押し当ててさめざめとぞ泣きゐたる。
「武士であることほど悔やまれることはない。武士の家にさえ生まれていなければ、こんなに辛い目に遭うことはなかったろう。情けなくも討ちとり申し上げたものだ」と嘆いて、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣いていた。
○やや久しうあつて、さてもあるべきならねば、鎧直垂を取つて首を包まむとしけるに、にしきの袋に入れたる笛をぞ腰に差されたる。
いつまでも泣いているわけにもいかず、その少年の鎧(よろい)と直垂(ひたたれ)をはずし、布で首を包もうとしたところ、錦の袋に入れた笛を腰に差しておられた。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史/與那覇 潤
¥1,575
Amazon.co.jp
日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)/網野 善彦
¥1,260
Amazon.co.jp
読むだけですっきりわかる日本史 (宝島社文庫)/後藤 武士
¥500
Amazon.co.jp