以仁王(もちひとおう 高倉宮)
諏訪大社に伝わる伝承では、木曽義仲は下社の宮司である金刺盛澄(かなさしもりずみ)に預けられて修行している。
のちに盛澄の弟・手塚光盛などの金刺一族が、挙兵当初から中原一族と並ぶ義仲の腹心となっている。
治承4(1180)年2月、高倉天皇が清盛の孫にあたる言仁親王に譲位、安徳天皇となる。
同年5月、皇位への望みを絶たれた以仁王が、源頼政(よりまさ)と図って、打倒平家のための挙兵を計画。
諸国の源氏などの武士団や、大寺社に蜂起を促す令旨(りょうじ;命令)を発した。
令旨の内容は、以仁王が自らを壬申の乱の天武天皇になぞらえ、皇位をだまし取った平家を討って、自分が皇位に就くべきことを宣言するもの。
義仲の叔父・源行家が、諸国の源氏に挙兵を呼びかけた。
だが、すぐに露見。
以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死、平家によって早々に鎮圧された。
義仲の兄の仲家も、頼政とともに平等院で討死している。
しかし、以仁王の令旨を契機に、諸国の反平氏勢力が挙兵。
全国的な動乱である治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)が始まる。
義仲は都から逃れてきた以仁王の遺児を、北陸宮(ほくろくのみや)として庇護。
木曽軍の「錦の御旗」として挙兵した。
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