平重衡 安福寺所蔵
清盛亡きあと、平家一門の繁栄は夕陽が西の空に沈んでゆくがごとく、目に見えて輝きを失っていく。
もちろん、時の勢いというものがあろう。
だが、もう一つ見逃せないのはリーダー不在ということではないだろうか。
保元・平治の乱で目覚ましい活躍をした嫡男の重盛はすでになく、平家の繁栄を築きあげた清盛が幽明境を異にした今、総帥は二位尼の第一子ではあるが、凡庸な宗盛である。
妻子思いのエピソードがある一方、とても将器とは思えない逸話がいくつか残っている。
源平の棟梁同士である源頼朝とからむ逸話から。
ある意味、源平の戦いは平宗盛vs源頼朝ということになる。
『吾妻鏡(あづまかがみ 鎌倉幕府の歴史書)』によると、
頼朝は壇ノ浦の戦いの直前、弟の範頼に宛てた手紙のなかで、「内府(内大臣:宗盛)は極めて臆病におはせる人なれば、自害などはよもせられじ」と記している。
壇ノ浦で生け捕りにされて鎌倉に護送された時には、食事もとらずに泣いてばかり。
頼朝と対面した時には出家するからと助命を求め、居合わせた者らから、「これが清盛の息子か」と嘲笑された。
二位尼は、そんな宗盛の決定に従って安徳天皇や中宮徳子とともに、都を離れて西国へ向かった。
いわゆる平家の都落ちである。
中国から九州へと西走するが、いったん勢力を盛り返して一の谷に陣を敷いた。
だが、軍事天才義経の「鵯越の逆落とし」などによって惨敗。
一門の多くが戦死、二位尼最愛の息子重衡は捕えられた。
重衡は都に連れ戻され、捕虜として都中を引き回される。
その噂を、母は耳にした。
ほどなく、「重衡を助けてやるから、三種の神器を返せ」という後白河法皇からの院宣がとどく。
使者は、二位尼あての重衡の手紙も持参していた。
「重衡を、今生で今一度御覧ぜんと思し召され候はば、三種の神器の御事を、よき様に申させ給ひて、都へ返し入れさせ給へ。さらずば、御目にかかるべしとも存じ候はず」
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平家物語の群像 二位尼⑩重衡からの手紙
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