摂政関白・九条兼実
摂政関白九条兼実に、『玉葉』という公卿日記がある。
欠損が少なく、源平争乱期の動静が客観的かつ詳細に記されていることから、研究者のあいだで最上位の史料に位置づけられているそうだ。
しかも兼実自身が最高位の貴族だから、各方面から一次情報がとどく可能性が高い。
それゆえ、情報を得るのが早くまた正確であろうと考えられている。
藤原定家クラスの中級以下の貴族になると、ともすれば世間の噂などが情報源になってしまうようだ。
また『玉葉』は、祇王の哀話や殿上乗合事件など、平家物語と同じエピソードを多く網羅しているので、事実関係の確認に欠かせない史料になっている。
たとえば、平家物語には清盛を極悪非道な人物に仕立てるため、ウソの逸話や事実を捻じ曲げている部分が少なくないということが分かってしまうのだ。
『物語』なので、それはそれで構わない。
『玉葉』は、治承5年(1181)年2月27日に、「禅門(清盛)、頭風ヲ病ムト云々」と記し、翌日には「禅門(清盛)の頭風、事ノ外増スアリ」と病状の悪化を書き留めた。
頭風とは、頭痛のことである。
熱病に関する文字は、一字たりともない。
政治家、特に大物といわれる政治家は病気をできうるかぎり外に漏らさないのは今も昔も同じだろう。
ところが、兼実は清盛の病状を書き残しているだけでなく、死の直後に、徳子と時子と宗盛に弔意を表している。
一方、藤原定家は日記『明月記』に、「臨終動熱悶絶ノ由、巷説ニ云々」と書いている。
「(清盛は)臨終には高熱をだして苦しみもがいて死んだ、と世間で噂している」と巷のうわさの紹介に過ぎないのだ。
まるっきりの未確認情報である。
ちなみに現代医学の知見をもってすると、清盛の死因はマラリア説、猩紅熱説、脳内出血説、肺炎説が考えられるという。
やっと二位尼に戻ってきた。
平家物語によると、清盛の臨終のとき、妻時子は身も心も凍るような怖ろしい夢を見た。
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平家物語の群像 二位尼⑥兼実と定家の情報
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