以仁王 国史大図鑑
それからほどなく、栄華をきわめた平家の行く末に暗い影が差しはじめる。
治承4(1180)年、高倉天皇が言仁(ときひと)親王に譲位して、安徳天皇か即位した。
高倉上皇の異母兄・以仁(もちひと)王は、完全に皇位継承の望みを絶たれてしまった。
源三位頼政が以仁王に、源氏をはじめ各地の武士団に打倒平氏の挙兵を呼びかける令旨(りょうじ:命令)を出すように勧めたのは、そんな時だ。
源行家がさっそく、令旨を各地の源氏に伝達して蜂起を促す使者に名乗りを上げた。
以仁王と源頼政はまもなく鎮圧されるが、反平家の動きは燎原之火のごとく広がっていった。
貴族化していった平家に対する不満や反発が、いかに諸国に充満していたかということだろう。
そんな大きな危機に見舞われようとしている矢先、大黒柱と頼む清盛が病に倒れた。
「二十七日、前右大将宗盛卿、源氏追討のために、東国へすでに門出と聞こえしが、入道相国違例の御心地とてとどまりたまひぬ。
明くる二十八日より、重病を受けたまへりとて、京中・六波羅、「すは、しつることを」とぞささやきける。
入道相国、病つきたまひし日よりして、水をだにのどへも入れたまはず。
身の内の熱きこと火をたくがごとし」
「宗盛が源氏追討に東国に出発する予定だったが、清盛の病気のために中止になった。
翌日、病状が重くなり、京の巷では、「それ、みたことか」とささやきあった。
清盛は、病に伏してから水ものどを通らない。
体中が、火を焚いているように熱い」
平家物語は、清盛の病状をすさまじい熱病としているが、本当は何だったのか。
同時代の著名な貴族である関白九条兼実や、新古今和歌集の撰者・藤原定家らの日記からそれとなく分かる。
ではなぜ、平家物語はあえて清盛の症状を熱病ということにしたのだろうか。
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平家物語の群像 二位尼⑤反平家の動き
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