安徳天皇を祀る赤間神宮 山口県下関市
信隆は、当時の多くの貴族がそうであったように、娘が天皇に気に入られて、女御あわよくば中宮に取り立てられることを願っていた。
白いニワトリを1000羽飼った家からは后が出ると聞くと、白いニワトリを1000羽飼った。
その甲斐があったのかどうか、娘の殖子(しょくし たねこ)は、高倉に見初められて、皇子を何人も産む。
信隆はもちろん、皇子の外祖父になって内心大喜び。
だが、清盛を恐れてか徳子に遠慮してか、あるいはその両方か、皇子たちの養育をどうするか困り果てていた。
そういう時である。
時子が、「夫と徳子のことなら、心配いりません。私が育てましょう」
乳母(めのと)をたくさんつけて、皇子たちを大切に育てた。
時子がなぜ、娘の徳子に皇子(のちの安徳天皇)が産まれているのに、将来、皇位継承のライバルになりうる殖子の子供たちを養育したのか。
信隆の妻も、清盛と時子の娘だったからという説がある。
とするならば、徳子と信隆の妻は血のつながった姉妹であり、殖子は時子の孫にあたる。
そして、徳子と殖子は、伯母(叔母)と姪の関係だ。
この二人が1~2年の間をおいて、出産するということが年齢的にありうるのだろうか。
時子は四の宮の乳母(めのと)を、時子の異父兄である法勝寺の執行能円法印の妻に頼んでいる。
当時の子供たちはみんな母方の家で育ったから、時子と能円はごく親しかったらしい。
安徳が平家一門の西走とともに都を離れたあと、三種の神器なしで皇位に就いたのはこの四の宮(後鳥羽天皇)である。
時子は、一門の都落ちまで見通していたかどうかはともかく、安徳のほかにも皇位継承の候補者を手元に置いておきたかったのだろうか。
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