第三十一帖真木林
光源氏37~38 紫の上29~30 蛍兵部卿宮 玉鬘23~24
内大臣40~41 秋好中宮28 夕霧16~17 明石の君:28
柏木21~22 明石の姫君9~10 髭黒大将32~33
真木林 弁少将 雲井の雁 冷泉帝19~20
葵祭での童殿上
上流貴族の子弟は、行儀見習いをかねて 宮中で働いた。
男踏歌おとことうか
【春の寝殿】の南庭に*男踏歌の*殿上人が訪れた。
左から源氏・玉鬘・明石の姫君・紫の上が
男踏歌の様子を見物している。
*殿上人
官職が三位以上の者及び四位と五位のうち昇殿を許された者。
宮家では、頑として姫君を髭黒に会わせようとしない。
息子たちだけが、やって来た。
十歳になる長男は*童殿上をしているが、容姿はともかく利発で物の道理をわきまえている。
八歳の次男は姉と似ているので、髭黒は頭を撫でながら、
「これからはお前を、姉君の形見と思うことにしよう」
それから、取り次ぎに
「式部卿宮に、お目にかかりとうございます」
申し出ると、
「宮は、風邪をこじらせて、休んでおられますので--」
取りつく島がなく、髭黒は息子二人を連れて宮邸を退出した。
童殿上 わらわてんじょう
平安時代、宮中の作法を見習うために元服前の貴族の子弟が殿上(宮中)の奉仕を許されること。または、その子供。
結婚して以来、玉鬘がいつも塞いでいるので、髭黒、
「あなたが*尚侍として参内される予定のところを私が邪魔立てをしたと、帝は不愉快に思われているようです。
宮仕えしている女君を妻にしている方もおられないわけではないのでーー」
*尚侍ないしのかみ
・平安時代、後宮における事務方のトップ。
・中期頃から、尚侍の性格は徐々に変わり、帝の妃の一人
として女御、更衣に準ずる扱いとなった。
年が改まってから、玉鬘は参内した。
ちょうどその年に「*男踏歌」があったので、参内の儀式もこの上なく盛大に執り行われた。
儀式が終わると、玉鬘は【承香殿】の東側の部屋をあてがわれた。
西側には、式部卿宮の姫君の女御が住んでいる。
*男踏歌
・平安時代、正月14日or15日に、四位以下のが催馬楽さいばらを歌い
ながら貴族の邸を巡回した行事。
・紫式部当時はすでに廃れていたので、想像による描写。
・なお、『源氏物語』は、50年ほど前の醍醐天皇の時代を想定して書
かれている。
「桜を見る会」問題を人間の心のありようから見ると
茂木健一郎 脳科学者
テレビなどでご存知の方も多いかと思います。
私も、悪徳政治屋たちのために嘘をついている
官僚たちの姿が最も見苦しく見えます。
プライドの欠片もない。
ただ、モリカケ問題などでウソをつき通した者
たちが後に出世しているのも事実です。
「これでいいのか?」
先年亡くなった赤塚不二夫氏はこれをしも
「これでいいのだ!!」とおっしゃるのだろうか。
深夜のラジオから
「時の流れに~鳥になれ」
五輪真弓 東亜樹 Aki Azuma 11歳