二十五帖 蛍
光源氏36 紫の上28 蛍兵部卿宮 玉鬘24 内大臣39
秋好中宮27 夕霧15 明石の君:27 柏木20
明石の姫君8 髭黒右大将 花散里22
花散里
紫の上からの手紙を脇において返事を書いている。
福相でおっとりしているが、美人ではない。
風俗博物館
内裏 北半分が『後宮』
帝の私的生活空間である『清涼殿』に近い建物ほど位が高い。
故大納言の娘である光源氏の母・桐壺更衣はもっとも
遠い東北隅の『桐壺/淑景舎』をあてがわれた。
桐壺帝が身分の低い桐壺更衣を溺愛するので、第一夫人の弘徽殿
女御など、他の女御や更衣が嫉妬、桐壺更衣をいじめ抜いた。
源氏が4歳の時、更衣は精神と体調を崩して亡くなった。
更衣が苦しんでいるとき、唯ひとり心の支えになって
くれたのが麗景殿女御であり、花散里はその妹。
後日、そのことを知ったとき、
源氏は衷心から姉妹に感謝したであろう。
夫婦とはいえ、源氏と花散里は身体の関係がなくなって久しい。
寝室も別々である。
記述にはないが、源氏と花散里の深い関係はふたりがまだ『後宮』で暮らしていた頃から続いていると思われる。
【二条院】に移るまで、源氏は母桐壺更衣にあてがわれていた後宮の「桐壺」に、花散里は姉麗景殿女御の「麗景殿」に住んでいたからだ。
ずっと誤って認識していたことがある。
桐壺更衣と麗景殿女御は、ともに桐壺帝の夫人であった。
どちらが年長かどうかは分からないが、ふたりの年齢差はせいぜい十歳ほどであろうと思っていた。
また源氏は桐壺更衣の息子、花散里は麗景殿女御の妹である。
だから、母親世代に属している花散里のほうが源氏よりもかなり年上だろうと思い込んでいたのだ。
ところが、確認すると、意外にも、現時点での源氏は36歳、花散里はまだ22歳で、14歳も源氏のほうが年長である。
いま源氏がもっとも執着している24歳の初々しく描かれている玉鬘よりも、印象としては古女房のような花散里のほうが若いのだ。
そういえば、以前、『古典文学』を読むときは、あまり「合理性」にこだわってはいけないと物の本に書かれていたことがあった。
花散里は、源氏の数多い女性関係を責めたりやき餅を焼いたりするようなことはしない。
きょうの「競射」のように、『夏の御殿』で催しが開かれると、晴れがましくて名誉なことに思う控え目な性格である。
いじめた者はほどなく忘れるが
いじめられた者は一生忘れないように
植民地にした国はいつしか記憶が薄れるが、
植民地にされた国は憎悪と屈辱感が残りつづける。
だから、韓国は相手が日本だと異常にムキになる。
何度となく、日本人が「韓国疲れ」させられのは
その辺に一因があるのではないだろうか。