第60代延喜の帝/醍醐天皇(885~930)
『源氏物語』は、醍醐時代を想定している。
青海波せいがいはを舞う、あらゆる分野でライバル視されていた光源氏(左)と頭中将(右) 。
斎宮/のちの梅壺女御が伊勢へ発つ前に参内して別れを告げるとき、朱雀帝が櫛を髪に挿して与えた。
この時、帝は初対面の斎宮に心を奪われる。
『斎宮歴史博物館』 三重県
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「新しく絵を描いたりあるいは絵師たちに頼んだりしないで、いま、手元に持ち合わせている作品だけで勝負しましょう」
源氏がもちかけたが、頭中将はあいかわらず自邸の一室に絵師たちを招いて絵を描かせているようだ。
朱雀院は『絵合』のことを知ると、【梅壺】チームに昔の名人上手が描いた絵に、延喜の帝/醍醐天皇が自ら詞書ことばがきを記した作品をはじめとして何作か送りとどけた。
それらの中には、院が斎宮(いまの梅壺女御)が伊勢に下る日に大極殿で執り行われた『別れの櫛の儀式』の絵も含まれていた。
巨勢公茂こせのきんもちに描かせた作品である。
和歌が一首、
○ 身こそかく 標の外なれ そのかみの
心のうちを 忘れしもせず
私はこのように宮中の外にいますが、あの頃の気持ちを忘れてはいません
*標の外しめのほか しめ縄の張ってある外側
寺社や宮中など、立ち入り禁止の区域の外側
女御からの返歌、
○ 標の内は 昔にあらぬ 心地して
神代のことも いまぞ恋しき
宮中は昔と変わってしまった心地がして、(斎宮として)神にお仕えしていた頃のことが今は恋しく思われます
朱雀院か蒐集している絵の大部分は、母の弘徽殿大后から譲られたものである。
太后は息子の院だけでなく姪の弘徽殿女御にも、かなりの数の絵画作品を譲っていた。
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