【古今和歌集・仮名序】紀貫之
やまとうた(大和歌=和歌)は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ猛き武士の心をも慰むるは歌なり。
恋心を和歌で伝えていた時代は、三十一文字を当意即妙に操れない者は男でも女でも恋愛できなかったというのは本当だろうか。
葛飾北斎 『北斎漫画』より
「葵上」の題で描かれた六条御息所の生霊(いきりょう:人の霊魂が体から抜け出して自由に動き回る)
源氏は、「もういいだろう」と覆面をとった。
ここで紫式部は明かすのだが、源氏は夕顔の家に通うときはいつも覆面をしていた。
源氏ほどの身分の者は、庶民の家が建て込んでいるような巷では顔を見られないようにしていたのだ。
初めて、明るい場所で顔を見せて一首。
○夕露に 紐とく花は 玉鉾の
たよりに見えし 縁にこそありけれ 光源氏
私がこうして顔をお見せする(or私とあなたが深い仲になった)のは、五条のあなたの家で出会った縁によるのですよ
先日、夕顔が源氏に詠みかけた和歌を踏まえている。
○心あてに それかとぞみる 白露の
光そへたる 夕顔の花 夕顔
あて推量ですが、「あの方(源氏の君)かしら?」と思っております。あなた様の白露のような麗しさで、夕顔の花が一段と美しく見えます
「どうですか、あなたが『白露の光』と詠んだ私の顔は?」という意味をこめた和歌は、冗談半分としても自分の容姿に相当の自信がないと詠めないだろう。
この得意げな詠みかけに対する、夕顔の返歌。
○光ありと 見し夕顔の 上露は
たそかれ時の そら目なりけり 夕顔
あなたが光り輝く露のように麗しく見えたのは、黄昏時の見まちがいでした
二人はすでに打ち解けているのか、夕顔は自信満々の源氏に肩透かしを食わせている。
「どうだい、僕の美しい顔は?」と尋ねた源氏に対して、「暗かったから、見まちがえたようです」と返しているのだ。
源氏に和歌を詠みかけたり軽くいなしたり、和歌を作る時の夕顔は、なよなよとして頼りなげな女ではない。
その夜、夕顔とめくるめく愛のひと時を過ごしてまどろんでいると、源氏の枕元に美しい女が座っている気配がした。
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夕顔⑥夕顔の二面性
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