空蝉(うつせみ)が寝つかれずにいると、衣(きぬ)ずれの音がして最上等の芳香が漂ってきた。
「きっと、源氏の君だわ」
当時、男女の逢引きは互いの顔が見えない夜の暗がり。衣装に焚き染めた香りや、身体に触れたときの手の感触が重要なポイントだった。
源氏からの手紙に何度か返事を出さずじまいなので、源氏の気持ちがもはや離れてしまっているのではないかと不安に駆られているところだった。
忘れられていなかったことが妙にうれしい。
でも、やはり男と女の関係になってはいけないと、単衣(ひとえ)を1枚だけ羽織ってふとんからそっと抜けだした。
空蝉が寝室をでるのと入れ違いに、源氏が忍び込んだ。
女がひとり寝ている。
ふとんに滑り込んで夜着をはいで身体に触れると、手の感触がいつかの夜とは違う。
肌触りがもっと滑らかで弾力がある。
空蝉は小柄で痩せていた。
目の前の女は、大柄でやや太っている。
空蝉ではないことに気がつくと、昼間、囲碁に興じている二人の女を垣間(かいま)見たときのことを思い出した。
源氏の視線の正面に座っていた軒端荻(のきばのおぎ)であろう。
伊予介(いよのすけ:愛媛県の副知事に相当)の娘で、空蝉の義理の娘にあたる。
器量良しとはお世辞にもいえない空蝉に対して、軒端荻は色白で華やかな顔立ちの美人だった。
しかし、着物姿はしどけなく居ずまいはがさつだった。
清少納言や紫式部らは作品の中で明らかに「地方」を見下げているが、彼女らをしても越えられなかった時代性なのだろう。
今、眠っている寝姿もどことなく品性を欠いている。
だからといって、「あっ、間違えた」というわけにはいかない。
さてどうする、源氏の君。
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