紫式部は、石山寺(滋賀県大津市)参籠の折に、『源氏物語』の着想を得たとされる。 『仁王像』は運慶・湛慶作
紫式部像 石山寺源氏苑
「器量のすぐれた赤ん坊は、似るのであろう」
桐壺帝は大らかな性格らしく、若宮が源氏と瓜二つであることに何らの疑いも挟んでいないようだ。
源氏と藤壺が胸のつぶれるような不安に怯えていることなど、どこ吹く風、若宮がかわいくてたまらない様子である。
源氏は心の中で帝に手を合わせ、早々に宮中を退出した。
帝は、つとに源氏に対して負い目を感じている。
かつて桐壺の更衣を母にもつ源氏を、その低い出自ゆえに皇太子に即けてやれなかったからだ。
その時の自分を今なお不甲斐なく思っている帝は、皇女である藤壺女御の産んだ若宮を、「疵(きず)なき玉」として大切に育てた。
若宮は幼くして皇太子となり、11歳で即位している。
冷泉帝である。
七月、藤壺は、第一夫人である弘徽殿女御を飛び越えて中宮となり、源氏は宰相(参議)になった。
帝が皇太子に位を譲って、若宮を皇太子に即けるための人事である。
ただ若宮の母方はみな親王で、政治的な後見人にはなりえない。
帝は、源氏を若宮の後見人に指名した。
弘徽殿(こきでん)女御ら、右大臣側は心穏やかではない。
源氏が21歳のとき、御代(みよ)が変わる。
桐壺帝が譲位して、朱雀(すざく)帝の御代になった。
母の弘徽殿女御は皇太后となり、弘徽殿大后(おおきさき)と呼ばれるようになった。
皇太子には若宮が立ち、源氏は右大将に昇進する。
桐壺帝は桐壺院となり、藤壺とのんびり仲睦まじく暮らした。
源氏は、藤壺がますます手の届かない遠い所へいってしまったような気がする。
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