後方に、桐壺更衣らが住んでいた後宮(ハーレム)があった
后の位には皇后・中宮、女御、更衣があり、女御は父親が大臣以上で、更衣は大納言以下。
皇后と中宮は、女御から選ばれた。
後宮の部屋(七殿五舎)の割り振りは、身分の高い者から順に、帝が起居する清涼殿に近い部屋を与えられる。
右大臣の娘で桐壺帝の第一夫人である弘徽殿の女御は、短い廊下で清涼殿に通じている弘徽殿の住人であった。
亡き大納言を父にもつ桐壺の更衣には、清涼殿からもっとも遠い淑景舎(しげいしゃ 和名:桐壺)が割り当てられた。
およそ親の期待を受けてあるいは積極的に入内(じゅだい:帝の妻になって内裏に入ること)するほどの女たちは、「われこそは」と、自らの美貌と教養に自負があってのことだろう。
自分がもっとも帝に愛されて皇子を儲け、あわよくば父親を「帝の外祖父」にする。
そんな、野心というか願望があったのではないだろうか。
ところが、更衣が入内すると、瞬く間に帝の愛情を独占した。
ほかの后たちは、見向きもされなくなった。
これは、すべての后を公平に愛さねばならない帝としては、明らかな「ルール違反だ」であり、厳しく指弾されても仕方のない異常事態である。
しかも女色に溺れて、政務を放り出している。
更衣のアンチ筆頭格である弘徽殿の女御やほかの后たちの反感や怒りの矛先が、更衣だけにとどまらず、直接、帝に向かうことにでもなれば……。
弘徽殿の女御の父・右大臣は、当時随一の権勢家である。
殿上人らは、苦虫を噛み潰したような表情でささやきあい、中国の故事を引き合いにだして頭を痛めた。
その昔、「後宮三千人」ともいわれた中国の唐において、玄宗皇帝は楊貴妃ひとりを溺愛し、しかも日々の政務を怠ったために「安史の乱」が勃発し、国が大きく傾いた。
楊貴妃が「傾国の美女」と呼ばれるゆえんだが、今の帝の腑抜けぶりでは、近いうちに同じ轍を踏むのではないか……。
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