「お前の持っている大刀と弓矢で八十神を追い払え。そしてお前が『大国主』となり、わが娘のスセリビメを正妻として、立派な宮殿を建ててそこに住め。この野郎~」。
実はここで初めて、オオクニヌシはスサノオによって、大国を統治する者として、『大国主』という称号を授けられる。
オオクニヌシは八十神を追い払って、国づくりを始めようとしたが、その方法がよく分らない。
出雲の美保の岬で、国造りについてあれこれ思案をめぐらしていると、海の彼方から小さな船に乗って、蛾の皮のように軽やかな衣服をまとった小さな神がこちらへやって来る。
まるで、一寸法師のようだ。
その小柄な神が、海岸に着いた。
オオクニヌシが名前をたずねたが答えない。
従者たちも、みんな知らなかった。
そこへ、ヒキガエルのタニグクが現れた。
「クエビコなら、きっと知っているでしょう」
そこで、クエビコに尋ねた。
「その神は、髙天原のカミムスビの御子・スクナビコナです」
クエビコとは山田のかかしで、歩くことはできないが天下のことはつぶさに知っている神である。
カミムスビはスクナビコナが自分の子であることを認め、スクナビコナにオオクニヌシと兄弟になって一緒に国造りをするよう命じていたのだ。
こうしてオオクニヌシはスクナビコナと力を合わせて、葦原中国(あしはらのなかつくに=地上 豐葦原中国とも)の国造りを進め、領土を拡大していった。
ところが、スクナビコナは国造りの最中、不意に常世国(とこよのくに 海の彼方にあるとされた異郷)へ旅立ってしまった。
出雲国風土記と古代遺跡 (日本史リブレット)/山川出版社
¥840
Amazon.co.jp
記紀の考古学 (朝日文庫)/朝日新聞社
¥756
Amazon.co.jp
国引き神話は『記紀』にはなく、『出雲風土記』にだけ記されています。
現憲法は「日本国民は、」ではじまり、アベノミクスで支持率のきわめて高い自民党の憲法草案は「日本国は、」で書き起こされています。
後者では、国が主体であり、国が国民の上に立つようです。
天皇は、「象徴」ではなく「元首」。
「日本国民は、」がいいか、「日本国は、」がいいか。
今、経済(景気)が好調のようなムードがあるが、景気には波があります。
憲法のほうがよほど、長期にわたって「国民の生活」や「国民と国との関係」を規定し、影響を及ぼすでしょう。
自民党の憲法草案だと、戦前に逆戻りするような気がします。