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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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夢まぼろしの如く ⑭信長と光秀と長宗我部元親

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$吉備路残照△古代ロマン-元親 カッコイイ!!長宗我部元親

長宗我部元親は幼少期は色白でおとなしく、姫若子(ひめわこ)とからかわれていたが、後に土佐を統一する大名に成長。

土佐の出来人」と呼ばれるようになった。

ただ、織田信長は元親をさほど評価せず、「鳥無き里の蝙蝠」をもじって「鳥なき島の蝙蝠」と皮肉っている。


1560年、元親は父・国親の急死により家督を相続、長宗我部家第21代当主になる。

1574年、土佐(高知県)をほぼ制圧。


1575年10月、元親から明智光秀に一通の書状が届いた。

信長が四国へ攻め込む前に友好関係を築こうとして、子供の命名を信長に求めている。

遠縁に当たる光秀に、仲介をして欲しいと頼ってきたのだ。

光秀は、「取り計らいましょう。ご安心あれ」と約束する。


信長は、「信」の一字を与えて「信親」と命名。

また、四国において元親がいくさで手に入れた土地を保証するとのお墨付きを与えた。

元親は、伊予(愛媛)や讃岐(香川)、阿波(徳島)へ侵攻。

一方、信長の機嫌を取るように、光秀を介して織田家に砂糖や特産品を贈り続けていた。

だが、

1582年5月7日、信長は元親の急速な勢力拡大を喜ばず、盟約を反古にし、四国征伐を決意する。

総大将は三男の信孝


元親に対して、「ご安心あれ」と約束していた光秀のメンツは丸潰れになった。

光秀に、こんな言葉が残されている。

「仏のうそは方便という。武士のうそは武略という。土民百姓はかわゆきことなり」


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