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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 対立②再会そして別れ

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$吉備路残照△古代ロマン-壇ノ浦の合戦 壇ノ浦の合戦


宗盛は、息子の髪を撫でながら涙をはらはらと流している。

「皆さん、この子には母親がいません。安産でしたが、そのまま病に伏して7日目に亡くなりました。いまわの際に、こんなことを言い残しました」

『どのような方が今後あなたのお子をお産みになろうと、この子を決して手離さないで下さい。私の形見として、乳母にも預けずご自分でお育て下さい』」

「その様子が不憫で、私が朝敵を征伐するとき、清宗を大将軍にし、この子を副将軍にしようと思って、『副将』と名づけました。すると、とても喜んで息を引き取るまで『副将』、『副将』と赤ん坊に呼びかけていました」

「この子を見るたびに、その時のことを思い出すのです」

宗盛が涙ぐむと、警護の武士たちが皆もらい泣きした。

しばらくして、宗盛が、「副将、もう戻りなさい。お客さんが来られる。また明日、来なさい」と促すと、副将は父の浄衣の袖にしがみついて、「いやだ、父上と一緒にいたい!!」

泣きじゃくる副将をなだめているうちに、ずいぶん時間が経って、日が傾いてきた。

しかたなく、乳母の女房が副将を抱き上げて、車に乗せる。

ふたりの女房も袖を顔に押し当て、泣きながら挨拶をして帰っていった。

宗盛は通りに出て、遠ざかって行くわが子をいつまでも見送っていた。

「もう、あの子と会うことはあるまい」

涙の流れるに任せた。


宗盛は遺言を守って、乳母に預けず自分の手で育ててきた。

3歳で元服させて、 「義宗」と名乗らせた。

成長するにつれて、義宗は容姿がますます優れてゆく。

気立ても良く、宗盛は息子自慢でどこへ行くにも伴った。

西海の平家滅亡の地、壇ノ浦へも連れてゆき、片時も離そうとしなかった。

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「わたしは自分が大嫌いです。でも、

      わたしは自分の人生が大好きです」前田敦子

20歳(当時)の女の子に、こんな哲学者のような言葉がある。

3人(前田&高橋みなみ大島優子)とも、自分自身の「視点と言葉」をもっているのがとても印象的。

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