宗盛は、息子の髪を撫でながら涙をはらはらと流している。
「皆さん、この子には母親がいません。安産でしたが、そのまま病に伏して7日目に亡くなりました。いまわの際に、こんなことを言い残しました」
『どのような方が今後あなたのお子をお産みになろうと、この子を決して手離さないで下さい。私の形見として、乳母にも預けずご自分でお育て下さい』」
「その様子が不憫で、私が朝敵を征伐するとき、清宗を大将軍にし、この子を副将軍にしようと思って、『副将』と名づけました。すると、とても喜んで息を引き取るまで『副将』、『副将』と赤ん坊に呼びかけていました」
「この子を見るたびに、その時のことを思い出すのです」
宗盛が涙ぐむと、警護の武士たちが皆もらい泣きした。
しばらくして、宗盛が、「副将、もう戻りなさい。お客さんが来られる。また明日、来なさい」と促すと、副将は父の浄衣の袖にしがみついて、「いやだ、父上と一緒にいたい!!」
泣きじゃくる副将をなだめているうちに、ずいぶん時間が経って、日が傾いてきた。
しかたなく、乳母の女房が副将を抱き上げて、車に乗せる。
ふたりの女房も袖を顔に押し当て、泣きながら挨拶をして帰っていった。
宗盛は通りに出て、遠ざかって行くわが子をいつまでも見送っていた。
「もう、あの子と会うことはあるまい」
涙の流れるに任せた。
宗盛は遺言を守って、乳母に預けず自分の手で育ててきた。
3歳で元服させて、 「義宗」と名乗らせた。
成長するにつれて、義宗は容姿がますます優れてゆく。
気立ても良く、宗盛は息子自慢でどこへ行くにも伴った。
西海の平家滅亡の地、壇ノ浦へも連れてゆき、片時も離そうとしなかった。
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前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)/筑摩書房
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「わたしは自分が大嫌いです。でも、
わたしは自分の人生が大好きです」前田敦子
20歳(当時)の女の子に、こんな哲学者のような言葉がある。
3人(前田&高橋みなみ&大島優子)とも、自分自身の「視点と言葉」をもっているのがとても印象的。