4月25日の深夜0時頃、八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)が太政官庁に収められた。
二位尼が腰に差して入水した天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、壇ノ浦の海中深く沈んでいる。
4月26日、平家の捕虜たちが鳥羽に到着し、すぐに都大路を引き回された。
見物人に捕虜たちの顔が見えるように、小八葉(こはちよう:殿上人が乗った)の車の前後の簾(すだれ)を上げ、左右の物見窓(ものみまど:外を見るために設けた窓)が開けられている。
平家の棟梁・宗盛は浄衣(じょうえ:白い衣服)を着ていた。
宗盛はもともと色白で清潔感のある男だが、瀬戸内海で長く潮風に吹かれていたせいか痩せて肌が黒ずんでいる。
別人のような風貌になっているが、辺りを見回している様子はさほど沈痛な面持ちではない。
嫡男の清宗は白い直垂(ひたたれ:武士の衣服)姿で、宗盛の車のすぐ後ろに続き、涙にむせんで目を伏せたままである。
3番目に時忠の車が続いた。
「平家にあらずんば人にあらず」と言い放ったのは、いつのことだったか。
「有為転変(諸行無常とほぼ同じ)は世の習い」という仏教用語を身をもって痛感したことであろう。
生け捕りになった平家の人々が都大路を引き回される様子を一目見ようと、都人だけでなく、周辺の里からおびただしい数の老若男女が集まってきて、京の道という道を埋め尽くした。
立錐の余地もない。
人は振り返ることができず、車は引き返すことができなかった。
治承・養和の飢饉と治承・寿永の乱(源平合戦)のために膨大な数の人々が亡くなったが、この様子を見ると、まだまだ無数の人々が残っているように思える。
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