
阿波民部重能は3年の間、平家に忠義を尽くしてきたが、嫡男の教能を生け捕りにされて、もはや平家に勝ち目はないと思ったか、平家を裏切って源氏に寝返った。
知盛は、「やはり、兄上の許しがなくとも重能めを斬り捨てておくべきだった」と悔やんだが、もはや後の祭り。
ここにも、棟梁・宗盛の見通しの甘さが露呈している。
知盛は、屈強の武士たちを兵船に乗せ、雑人(ぞうにん:身分の低い者)らを唐船(中国風の大船)に乗せて、義経勢が唐船を攻めているところを、
兵船で取り囲んで討ち取ろうという作戦を立てていた。
だが、寝返ってきた重能にその作戦を聞いた義経は、唐船には目もくれず、兵船を攻め立てる。
すると、平家不利の形勢を見てとった四国や九州の兵たちが、こぞって源氏方に寝返った。
つい先ほどまで従っていた平家の公達に向かって弓を引き、太刀を抜いたのである。
いよいよ源氏と平家の国盗り合戦は、決着がついたようだ。
源氏勢が平家の船に乗り移って船頭や水夫は射殺しあるいは斬り殺したので、船の進む方向を変えられなくなった。
平家方は皆、船底で倒れ伏した。
知盛は小舟に乗って、安徳天皇や中宮徳子のいる御座船に向かう。
そして、女房たちに、
「世の中は、今はかうと覚え候へ (もはや、これまで)。見苦しき物をば海へ入れて、舟の掃除召され候へ」
と命じ、自ら掃いたり拭ったり塵を拾ったりして船を清めた。
女房たちが、知盛にたずねる。
「中納言(知盛)殿、さて軍(いくさ)の様はいかにやいかに」
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南米はアルゼンチンの沖合に浮かぶ小さなフォークランド(アルゼンチン名:マルビナス)諸島まではるばると大艦隊を派遣した、かつては「七つの海を支配」したイギリス。
第二次世界大戦後、イギリスはフランスとちがって比較的あっさりと世界中に散らばる植民地の多くを手離すが、赤道をまたぐ遠隔地の小さな諸島でも、
他国に占領されることには耐えられなかったようだ。
この歴史的事実をみても、国家の主権と威信に関わる領土紛争の解決はきわめて難しい。
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