まず、山賀秀遠が500艘余りで漕ぎ出した。
松浦党が、300余艘で続く。
それから、平家の公達の200艘が3陣。
山賀秀遠は、九州一の精兵(せいびょう:弓を引く力の強い者)。
秀遠は、自分ほどではないが精兵500人を選りすぐって500艘の船に配置し、一斉に500筋の矢を放たせた。
一方、義経はいつも通り真っ先に駆け出して戦かおうとしたが、無数の矢の襲来に楯(たて)も鎧(よろい)もまるで役に立たず、引き下がるほかなかった。
平家方は太鼓を打ちならし、鬨(とき)の声をあげながら攻め立てる。
源氏方では、和田義盛が見せ場を作った。
義盛は馬の腹が浸かるくらいまで海に入って行くと、平家方へ矢継ぎ早に鋭い矢を射かける。
精兵で遠矢(遠くまで矢を放つこと)自慢の義盛は、3町(約330m)ほどなら外さず的を射ることができた。
そして、散々放った矢のうち最も遠くまで飛んだ矢を指して、「その矢を返して頂こう」と平家方を挑発した。
「平家方に、私ほど遠くまで矢を飛ばせる者はいるか」というわけだ。
知盛がその矢を持ってこさせると、鶴の羽を焦がしも塗りもしていない白矢で、13束(そく:1束は拳1つ分)と3伏(ふせ:1伏は指1本)の長さがあり、矢じりを指し込んで糸を巻く所から1束ばかり下に、「和田小次郎平義盛」と、漆で書いてある。
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(源頼朝の御家人には平氏の血筋が多い)
総大将の知盛をはじめ平家勢は、味方には精兵は多いが遠矢を射る者はいないと思っていたが、ややあって、伊予国の仁井紀四郎親清なる男が進み出て、
その矢を受け取ると弓につがえて、源氏方へ射返した。
矢は三町余りをすっーと飛んで、義盛の後ろ一段(11m)ほどの所に控えていた三浦石左近太郎の左腕に、深く突き刺さった。
義盛が放った矢の距離を、楽々と超えたのである。
義盛嫌いの三浦一族の者らが、笑いあった。
「ほら見ろ、いい気味だ。自分ほどの精兵はいないと自惚れている義盛が恥をかいたぞ」
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日中両国の対立が抜き差しならないところまで悪化していることの原因がすべて中国にあるとはもちろん思わない。
それにしても、江沢民前国家主席の時代に徹底して行った『反日教育』などがもたらしている若者たちの日本への反感を、これからの中国の指導者はどう収めるつもりだろうか。
今のままで良いはずはない。
余りにも不毛だ。
中国の最高指導部では珍しく親日派の胡錦濤主席を無神経な対応で怒らせてしまった稚拙な日本外交だが、あろうことか野田首相は「trust me」の鳩山由紀夫氏を外交顧問に再任した。
外交より、党内事情の方が大事らしい。
離党を恐れての「エサ」なのだろう。
「平成の宗盛」であれ、「元首相」の肩書は重い。
『平家物語』は、愚かな宗盛が「棟梁」になったことが平家滅亡の要因としている。
ほかの党は知らず、「民主党政権では外交が、ひいては国が滅茶苦茶になる」とつくづく思う。
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