壇ノ浦の戦い 潮の流れ
源平両陣営の兵船が、20町余り(約2km)を隔てて向き合っていた。
門司や赤間や壇の浦あたりは、潮の流れが激しい。
戦端の幕が切って落とされると、源氏方の兵船は潮に押し流され、平家方の兵船は潮の流れに乗って攻め込んだ。
梶原景時は、沖合は潮の流れが速いので岸近くに船を寄せ、行き違う平家方の船に熊手をかけて引き寄せ、親子・主従14、5人で平家方の船に乗り移って散々に戦った。
景時は敵兵を数知れず討ち取って、その日の功名の一等に記される。
そうこうしているうちに、源平両軍が一斉に鬨の声をあげた。
上は梵天にまで届き、下は大地を司る地天が驚く程である。
ときの声がおさまると、平家の総大将平知盛(とももり)が船の甲板に進み出て、大音声をあげた。
「天竺(インド)、震旦(中国)にも日本我が朝にも並びなき名将勇士といへども運命尽きぬれば力及ばず。されども名こそ惜しけれ。命をいつの為にか惜しむべき。
軍(いくさ)は今日の限りぞ。少しも退く心なくして軍ようせよ者共。ただこれのみぞ思ふ事よ」
伊藤景経が知盛の前に進み出て、武士たちに念を押した。
「殿の御言葉、心得たか。者ども」
それから、平景清が進み出た。
「坂東武者は馬上での戦いこそいっぱしの口を利くが、船いくさには慣れていない。
木に登った魚だ。とっつかまえて、海に投げ込んでやれ」
次に、平盛嗣(もりつぐ)が兵たちを鼓舞した。
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その時々の軍事力に応じて、北京五輪の聖火リレーのとき同様、世界中を敵に回しても我を通そうとするのではないか。
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