織田家最大版図
当時の時代状況においては、日本人離れしていたと言っても過言ではない。
応仁の乱以来の停滞した経済を活性化させるため、城下に楽市楽座の制を布いたり、領内の道路を整備したり、関所を廃止したりして各地から商人を集めた。
また稲葉山城に入るとき、家臣団の家族も尾張から岐阜によび、兵農分離をはかっている。
他の大名は例外なく、政治・経済・軍事的な基盤を農業において疑わなかった時代である。
戦術家としては信長を上回ったかもしれない上杉謙信や武田信玄、毛利元就ら諸国の群雄と信長が、ひと味もふた味も違う点だ。
人物を見抜くに卓越した目を持つ信長は、家柄にとらわれることなく有能な人材を貪欲に見いだし、能力に応じて登用していく。
実力主義をとる信長に仕えたからこそ、農民の子である木下藤吉郎は才覚を存分にいかして立身出世できた。
信長の死後には天下人にもなりえたのだ。
明智光秀は地方の名門出身ながら浪人生活が長く、42歳のときに信長に仕官してようやく才能を発揮する場を得る。
猪突猛進型の家臣団の中で、武人としての能力だけでなく、幅広い教養にも恵まれた部将として頭角を現していく。
織田家の勢力伸長とともに、将軍家や朝廷との交渉にあたった。
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夢まぼろしの如く ⑦合理主義と人材登用
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