教経が次々に矢をつがえて射ると、たちまち鎧武者十余騎ほどに命中した。
奥州平泉の佐藤継信は、左の肩から右の脇へかけて射抜かれ、たまらず馬上から真っ逆さまに落ちた。
教経の童子・菊王丸は怪力無双の剛の者。
萌黄威の腹巻に三枚甲の緒を締め、打物の鞘を外して継信の首を取ろうと飛びかかったが、近くにいた佐藤忠信が、兄の首を取らせてなるかと、
十三束三つ伏せの矢を引き絞ってひゅっと放った。
菊王丸は腹巻の草摺りを射ぬかれ、四つんばいになって倒れた。
それを見た教経は、左手に弓を持ったまま、右手で菊王丸を抱えて船へ投げ込んだ。
だが、深手を負っていた菊王丸は絶命する。
菊王丸はもとは教経の兄通盛(みちもり)の童子だったが、通盛が一の谷で討たれた後、教経に仕えていた。
享年18。
教経は、菊王丸が討たれたことで戦意を喪失する。
義経は馬から飛び下りると、継信の手をとって声をかけた。
「いかが覚ゆる」
「今はかうと覚え候へ。(もうだめです)」
「思ひ置く事はなきか」
「何もありません。ただ、殿が世に出られるのをこの目で見ることなく、死んでいくことだけが心残りです。弓矢取る者が、敵の矢に当って死ぬのはもとより覚悟の上。
末代まで、『源平合戦のとき、奥州の佐藤継信という者が、屋島の戦いで主君の身代わりに討たれた』と語り継がれることこそ、今生の面目、冥途の土産です」
目に見えて弱っていく継信の様子が哀れで、義経は鎧の袖を濡らした。
「このほどに貴き僧やある」
郎党の一人が、尊い僧を探して連れてきた。
「深手を負って今にも死にそうな者がいます。一日、お経を書いて弔って下さい」
そして、義経は、太くて逞しい黒馬に立派な鞍を置いて、布施として僧に与えた。
その馬は、義経が五位尉に任ぜられたとき、同じく五位として大夫黒(たいふくろ)と呼ばれた名馬である。
義経は、その馬に乗って鵯越(ひよどりごえ)の坂を落ちた。
思い出も愛着もある、かけがえのない馬だ。
その大事な大夫黒を、継信を弔ってもらった御礼として手離したのである。
忠信をはじめ、郎党らはみな、涙ぐんだ。
「殿のためなら、命を捨てても惜しくはない」
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一般の中国人は、やさしくて思いやりのある人々だと思う。
しかし、こういう光景を度々見せられると、「相手が弱いとみるや、中国共産党は何をするか分からない」と思ってしまう。一党独裁国家の軍部の蛮行は、反日デモ隊のわが目を疑うような粗暴な破壊・略奪行為に通じる
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