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Channel: 吉備路残照△古代ロマン
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平家物語の群像 義経23教経、王城一の強弓

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$吉備路残照△古代ロマン-教経  平能登守教経(のりつね)


「承知しました」

平盛嗣(もりつぐ)、伊藤忠光、伊藤景清(かげきよ)を先鋒として、総勢500余人が、義経勢が焼き払った宗盛邸の門前の水際に押し寄せて布陣した。

義経の80余騎は、互いの矢が届く距離まで寄せた。

平家方から盛嗣が、甲板に進み出て大声を張り上げる。

「先ほどどなたか名乗られたが、海上遠く離れていて名前を聞き取れなかった。
今日の源氏の大将軍はどなたかな。名乗られよ」

伊勢義盛が歩み出た。

「愚か者め。清和天皇十代の後胤。源頼朝殿の御弟、九郎大夫判官義経殿だ」

「ああ、そうだった。平治の乱で義朝が討たれて、鞍馬山で稚児になった。それから金売り商人の手下になって奥州へ下った、あのこわっぱだな」

「殿の悪口を言うのをやめろ。そういうおまえらこそ、倶利伽羅峠の戦いで惨敗して、北陸道をさまよいながら乞食をしていたというではないか」

「おまえらこそ、伊勢の鈴鹿山で山賊まがいのことをしながら、暮らしていたと聞くぞ」

義経方の金子家忠が進み出た。

「やめろ、罵り合ってどうする。平家方の面々よ。一の谷で、坂東武士の手並みを思い知ったであろう」

家忠が言い終わらないうちに、弟の与一が、十二束二つ伏せの矢を引き絞ってひゅっと放った。

矢は、盛嗣の鎧の胸板の裏へ抜けた。

それで、悪口合戦は止んだ。

悪態合戦が終わると、真打平教経の登場である。

「船いくさには、船戦のやり方がある」

直垂を着けず、唐巻染の小袖に唐綾威の鎧を着、厳めしい作りの太刀を佩き、
24筋差した鷹黶の矢を背負い、滋籐の弓を持った。

教経は王城一の精兵。

教経の矢面に立った者たちは、ことごとく射殺された。

教経は一矢で義経を射止めようと狙っていたが、源氏勢は教経の強弓が王城一であることを知っている。

佐藤継信・忠信兄弟、江田弘基、熊井忠基、武蔵坊弁慶らが、馬の頭を一列に並べて義経の矢面(やおもて:敵の矢が飛んでくる正面)を防いだ。

教経には、なす術がない。

「そこをどけ、雑魚(ざこ)ども」



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