平能登守教経(のりつね)
「承知しました」
平盛嗣(もりつぐ)、伊藤忠光、伊藤景清(かげきよ)を先鋒として、総勢500余人が、義経勢が焼き払った宗盛邸の門前の水際に押し寄せて布陣した。
義経の80余騎は、互いの矢が届く距離まで寄せた。
平家方から盛嗣が、甲板に進み出て大声を張り上げる。
「先ほどどなたか名乗られたが、海上遠く離れていて名前を聞き取れなかった。
今日の源氏の大将軍はどなたかな。名乗られよ」
伊勢義盛が歩み出た。
「愚か者め。清和天皇十代の後胤。源頼朝殿の御弟、九郎大夫判官義経殿だ」
「ああ、そうだった。平治の乱で義朝が討たれて、鞍馬山で稚児になった。それから金売り商人の手下になって奥州へ下った、あのこわっぱだな」
「殿の悪口を言うのをやめろ。そういうおまえらこそ、倶利伽羅峠の戦いで惨敗して、北陸道をさまよいながら乞食をしていたというではないか」
「おまえらこそ、伊勢の鈴鹿山で山賊まがいのことをしながら、暮らしていたと聞くぞ」
義経方の金子家忠が進み出た。
「やめろ、罵り合ってどうする。平家方の面々よ。一の谷で、坂東武士の手並みを思い知ったであろう」
家忠が言い終わらないうちに、弟の与一が、十二束二つ伏せの矢を引き絞ってひゅっと放った。
矢は、盛嗣の鎧の胸板の裏へ抜けた。
それで、悪口合戦は止んだ。
悪態合戦が終わると、真打平教経の登場である。
「船いくさには、船戦のやり方がある」
直垂を着けず、唐巻染の小袖に唐綾威の鎧を着、厳めしい作りの太刀を佩き、
24筋差した鷹黶の矢を背負い、滋籐の弓を持った。
教経は王城一の精兵。
教経の矢面に立った者たちは、ことごとく射殺された。
教経は一矢で義経を射止めようと狙っていたが、源氏勢は教経の強弓が王城一であることを知っている。
佐藤継信・忠信兄弟、江田弘基、熊井忠基、武蔵坊弁慶らが、馬の頭を一列に並べて義経の矢面(やおもて:敵の矢が飛んでくる正面)を防いだ。
教経には、なす術がない。
「そこをどけ、雑魚(ざこ)ども」
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平家物語の群像 義経23教経、王城一の強弓
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