義経上陸の地 徳島県小松島市
「ここで殺されるも、沖に船を出して死ぬも同じことだ」
船頭や水夫らは、あきらめて船に向かった。
2月16日の丑の刻(午前1時~午前3時)、わずか5艘だけで出航した。
武士150人、馬50頭。
他の大多数は、梶原景時を憚ったか嵐を恐れたか、摂津の渡辺に残った。
義経の命令一下全員が従う、ということではなかったようだ。
義経は、ついてきた連中を鼓舞する。
「嵐で敵が油断しているときに攻めてこそ、勝てる。そなたたちの船には篝(かがり)火をたくな。篝火がたくさん見えたら敵が怪しむ。私の船の篝火を目印にしろ」
通常3日かかるところを、暴風に吹き飛ばされるようにしてたった3時間で阿波の勝浦に着いた。
夜が明けると、渚には平家の赤旗がひらめいている。
「波打ち際で馬を船から下ろせば、敵の矢の的になる。手前で船を傾けて下ろせ。
そして、船に引きつけながら泳がせろ。鞍の下端が海水に浸かるくらいの深さになったら、すぐに乗って駆けろ」と命じた。
50騎の義経勢が波打ち際へ雄叫びを上げて疾駆すると、浜辺にいた100騎ほどの武士たちは、思わず退却した。
義経は浜辺で馬を休めていたが、何か思いついたように伊勢義盛を呼んだ。
「あの連中のなかで気の利いた者をひとり連れてまいれ、頼みたいことがある」
義盛は100騎ほどの中へ単騎駆け入って、40歳ほどの黒皮威の鎧を着た者を、兜を脱がせ弓の弦を外させて連れてきた。
義経が、「何者だ」とただすと、「当国の住人、坂西近藤六親家」と名乗った。
義盛や弁慶らに命じる。
「これから親家に屋島までの道案内をさせる。親家から目を離すな。逃げようとしたら射殺せ」
遮那王(しゃなおう)、牛若丸、義経という国民的アイドルヒーロー、何かと口癖のように、「射殺せ」という。
義経は、平家から一の谷を奪い屋島を奪い彦島(壇ノ浦)を奪っていった。戦争の本質とは、古今東西、陣取り合戦なのだ。
『平家物語』の作者が、直に聞いたわけではないだろうが。
義経が親家を呼び、「ここは何というところだ」と問うと、「勝浦」と答えた。
縁起のいい地名に義経が笑って、「われらに気を使ったか」というと、「本当に勝浦です」
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平家物語の群像 義経⑲阿波の勝浦に上陸
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