伝平知盛の墓 甲宗八幡宮 北九州市門司区
家長は知盛の鎧と兜を脱がせて自ら大将の姿形を整えると、迫ってきた合原外記の馬前に立った。
「私が知盛だ。平家の恩顧を忘れ、源氏の軍門に降った裏切り者を成敗してくれよう」
「たわけめ。お前は知盛ではない。者ども、知盛を探せ」
たちまち家長の首は刎ねられ、知盛も捕まった。
知盛の最期を憐れんだ土地の者が、平知盛の墓を築いて供養した。2基の石塔が建てられたのは、後のことである。
一方、家長の妻子と幾組かの家族は今山(現;八女市今山)に落ち延びた。
服部と姓を変えた彼らは、今山に定住して子孫を繁栄させる。服部さんは800年経過した今も、中尾の平知盛の墓にお参りされているそうだ。
↓…… 一の谷の戦い ……↓
○新中納言知盛卿は生田森の大将軍にておはしけるがその勢皆落ち失せ討たれにしかば御子武蔵守知章侍に監物太郎頼方主従三騎汀の方細道に駆けて落ち給ふ。
知盛は生田森の大将軍だったが味方が皆逃げたり討たれたりしたので、息子の知章(ともあきら)と家来の頼方の主従三騎で、浜辺に向かって細い道を駆けて落ち延びられた。
○ここに児玉党と思しくて団扇の旗差したる者共十騎ばかり鞭鐙を逢はせて押し懸け奉る。監物太郎は究竟の弓の上手なりければ取つて返し真っ先に進んだる旗差が首の骨をひやうつはと射て馬より倒に射落す。
そこに児玉党らしき団扇の旗を差した者らが十騎ほど、鞭を振るい鐙(あぶみ)を蹴って押しかけてきた。頼方は弓の名手だったので、引き返して先頭を駆けてきた旗差の首の骨をひゅっと射て、馬から逆様に落とした。
○その中の大将と思しき者新中納言に組み奉らんと馳せ並ぶる処に御子武蔵守知章父を討たせじと中に隔たり押し並べむずと組んでどうと落ち取りて押さへて首を馘き立ち上がらんとし給ふ処に敵が童落ち合はせて武蔵守の首を取る
大将らしい者が知盛と組もうと馬を並べているところに、知章が父を討たせまいと割って入り、馬を押し並べてむんずと組んでどうと落ち、取り押さえて首を刎ねて立ち上がろうとすると、敵の家来が来て、知章の首を取った。
…… 原文に忠実な訳ではありません ……
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