源氏物語
47帖 総角
薫24 匂宮25 大君26 中の君23
夕霧50 明石中宮42
徳川美術館正面
徳川家康の遺品を
中心に御三家筆頭の尾張
徳川家初代・義直以下の遺愛品
いわゆる《大名道具》1万件余を収蔵。
国宝「源氏物語絵巻」
を始め国宝9件、重要文化財59件など、
種類の豊富さや質の高さ保存状態の良さを誇る。
【徳川美術館】は国の有形文化財。
メ-グル なごや観光ルートバス
1日乗車券
大人500円 子供250円 特典あり
当時、男が三夜続けて女のもとに通えば結婚が成立した。
この制度は、紫式部の生きた時代は極端な《男性中心社会》だったことを示している。
この辺りの女性の恨み辛みは、時の権力者・藤原兼家の妻の一人だった藤原道綱母の手になる『蜻蛉日記』につぶさに記されている。
藤原兼家/道隆や道長らの父
兼家は摂政関白太政大臣となり、
その地位を嫡男の道隆に譲り世襲とした。
道隆没後、彼の息子たちと
道長の間で激しい骨肉の争いが起きる。
■
嘆きつつ 一人ぬる夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る
百人一首
藤原道綱母
しかも当時は一夫多妻制である。
女はプライドが傷つけられることがあっても、男が傷つくことはない。
三夜目に、匂宮は度重なる夜歩きを母の明石中宮に咎められて外出できないでいた。
そんな時、日頃から、周囲の大人たちに「薫君が一緒なら---」との信頼を得ている薫の説得で、匂宮はなんとか宇治へ赴くことが出来た。