源氏物語
第34帖若菜上
源氏:39~41 紫の上31~33 女三宮13~15 夕霧18~20
明石の君:30~32 明石女御:11~13 柏木:23~25
紫式部像
『源氏物語』を執筆する紫式部
石山寺「源氏の間」
〈須磨〉と〈明石〉はここで著されたという。
JR京都~石山は新快速で13分
JR明石~須磨 同12分
過日、岡山から名古屋市の【徳川美術館】で催されて
いる「源氏物語絵巻特別展」へ出かけたが、
新幹線を使えば大阪と京都に停まるのみ。
つまらないので、各駅停車と(新)快速だけを利用した。
京都までは馴染みがあって、さほど心は動かない。
京都からは、停まる「駅名」毎に感激の連続だ。
しかも意外に、各駅が近い。
発車するとまもなく、山科(大石内蔵助)、石山(紫式部)、
大津(天智天皇)、安土(織田信長)、彦根(井伊直弼)、
岐阜(斎藤道三 信長)等の、歴史小説やドラマ・映画
などで馴染みの「駅名」が次々に車内放送される。
その度に、ワクワクした。
帰りは、天下統一の志をもって上洛の途についた
尾張の大うつけの足跡を辿っているので、ゾクゾクッと。
源氏は、四十歳になっていた。
朝廷では、源氏の「四十の賀」を世を上げての祝賀行事にしようとしたが、堅苦しい儀式が苦手な源氏はいっさい辞退した。
正月二十三日の子の日、髭黒左大将の北の方/玉鬘が、源氏の「四十の賀」の祝いに*若菜を献上する。
夫妻が密かに準備していたようで、源氏は断る暇も術もなかった。
*若菜を贈呈するだけの簡単な挨拶と思っていたが
髭黒の勢威を誇示する儀式だったようだ。
当日、参賀の貴顕が続々と六条院に参集した。
源氏は御座所に向かう途中、何年かぶりに玉鬘と対面する。
二人の胸中には、玉鬘が流浪生活の果てに六条院にやってきて源氏と対面して以来の様々な思い出が去来したことだろう。
それにしても、と玉鬘は思う。
源氏は、当時のままに若々しく美しい。
今年、「四十の賀」を迎えたというのは何かの間違いではないかと思えるほど優美で魅力があり、とても子を持つ親には見えない。
玉鬘は源氏と会うのを気恥ずかしく思っていたが、いざ対面すると、以前のような他人行儀ではなく和やかに言葉を交わすことができた。
AKB48 - Shonichi 初日
渡辺麻友卒業劇場公演
東京ドームや各地のアリーナなどの大舞台で
卒業コンサートを開催したメンバーも
最後は本拠地、渡辺麻友さんの場合は
250人収容の【AKB48劇場】で卒業公演を行います。