なんと仏御前が……
原文
《かくて春過ぎ夏たけぬ、秋の初風吹きぬれば、星合の空を眺めつゝ、天のとわたる梶の葉に思ふこと書くころなれや。夕日のかげの西の山のはに隠るるを見ても、
「日の入り給ふ所は、西方浄土にてあんなり。いつか我らもかしこに生まれて、物を思はですぐさむずらん」
と、かかるにつけても過ぎにしかたのうき事ども思ひ続けて、唯つきせぬ物は涙なり。
たそかれ時も過ぎぬれば、竹の網戸を閉ぢふさぎ、灯かすかにかきたてて、親子三人念仏してゐたる処に、竹の網戸をほと/\とうちたゝく者出で来たり》
……
文体は対照的ですが、冒頭の『祇園精舎』や『殿上の闇討』と並んで、有名な部分です。
…… …… ……
嵯峨野に庵を結んだのは、春。
夏が過ぎて、山里に秋の風が吹きはじめたころ、
親子3人、夕日が西のほうの山に沈むのを眺めていた。
「夕日のように、いつか私たちも西方浄土に生まれ変わって、何の悩みもなく日々を平穏に暮らしたいものですね」
それにつけても、よみがえってくるのは過ぎた日々のつらかった思い出の数々。
今なお、祇王の涙は枯れることがない。
ある夜更け、いつものように、ほのかな灯りの下で念仏を唱えていると、玄関の竹の網戸をたたく者がいる。
「魔性の者が、念仏の邪魔をしようというのでしょうか」
なにしろ竹の網戸である。
「女3人、力を合わせて防いでも、魔物はやすやすと押し入って来ましょう」
命を奪おうとするなら、それもよし。
「今は阿弥陀様の御本願を信じて、お念仏を唱えましょう」
3人で念仏の声を合わせながら、竹の網戸を開けた。
魔物なんかではなかった。
「たがひに心をいましめて、竹の網戸を開けたれば、魔縁にてはなかりけり。仏御前ぞ出で来たり」
なんと、思いもよらない。
仏御前が、目の前に立っているではないか。
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平家物語の群像 祇王⑧つきせぬ物は涙なり
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