寝殿造り クリック→拡大
平安時代におけるた都の上流貴族の住宅様式
東三条殿復元模型
代表的な寝殿造り。平安京の貴族邸宅の一つ。
平安初期の藤原良房(よしふさ)邸とされ、969(安和2)年に藤原兼家(かねいえ 道長らの父)が改築した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
常陸宮邸のほうでは、それでもいつか源氏は来てくれるのではないかと待ち望んでいるうちに空しく月日が流れてゆく。
ちなみに源氏の来訪を待ち焦がれていたのは、当の姫君よりも命婦(みょうぶ)や女房たちのほうであろう。
常陸宮家は零落していて、困窮を極めているからだ。
源氏が通ってくれれば、経済的な支援を期待できる。
なお、当時の慣習としては、通ってくる男の面倒を女の父親がみていた。
行幸が近くなって、試楽(しがく)の準備で宮中がごったがえしているころ、命婦が参内(さんだい)した。
「姫君は、どうしておられる」
源氏が命婦(みょうぶ)に尋ねると、
「これほどまでにお見限りとは。お側でお仕えしている私たちまで辛うございます」
「いまは忙しいのだ」と嘆息して、「人の愛情を少しも理解してくれない姫君を懲らしめようと思っているのだよ」
ニヤリとしたときの源氏の表情が若々しく愛嬌があるので、命婦もつい微笑んでしまった。
「困ったこと。女に恨まれるお年頃だし、相手への思いやりが薄くわがままなのも無理はないのかもしれないわ」
源氏は行幸の準備がおわったころから、時々常陸宮邸へ通うようになった。
ある宵、女房たちがのんびりと寛いでいるときを見計らって、そっと邸内にはいり格子の間から中をのぞいてみた。
末摘花らしき姿は、見えない。
几帳などは、破れたままだ。
調度や食器はもともとは上等品のようだが、古ぼけたり一部が欠けたりしている。
食事も見るからに粗末なもので、女房たちは姫君のおさがりを食べているようだ。
与謝野晶子の源氏物語〈上〉光源氏の栄華 (角川ソフィア文庫)/角川学芸出版
¥843
Amazon.co.jp
smapの木村拓哉が『AERA』(7/28号)のインタビューの中で、明石家さんまの言葉に触れています。珍しく、真面目な顔で語ったそうです。
「俺たち(芸能人)は生きてるんではなく、生かされてるんだよ」
つい「凹んでしまう」から抜け出す本 植木理恵 /大和出版
¥1,404
Amazon.co.jp記事に関するコメントのみ公開します
↧
末摘花⑱暮らし向き
↧