
渉成園しょうせいえん(枳殻邸きこくてい)
東本願寺の飛地境内地。京都駅から徒歩約10分
寛永18(1641)年、徳川家光が寄進
承応2(1653)年、石川丈山が書院式の回遊庭園として作庭
光源氏のモデルのひとり、源融(とおる)が営んだ『六条河原院』の旧蹟という伝説がある
紫式部は、『六条院』は『六条河原院』を想定していた

渉成園 国の名勝 正面奥は京都タワー
京都駅からごく近い名園にしては知名度が低いようです。
日本三名園のひとつ、『岡山後楽園』よりも野趣味に溢れています。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
末摘花は、何に対しても不思議なほどに手応えがない。
失望した源氏は、夜が明ける前にそっと帰っていった。
命婦は、「どうなるのだろう」と聞き耳を立てていたが、源氏が帰るとき、若い女房たちに「お見送りを」と指示しなかった。
源氏は二条院に戻るとすぐに横になった。
「思い通りの女は、なかなかいないものだ」
夕顔の面影をおったが、みごとに期待外れだった。
だからといって、末摘花の身分を考えると粗略には扱えない。
あれこれ思い悩んでいるところに、頭中将が顔を見せた。
「ずいぶん朝寝坊ですね。何か、わけでも」
「気楽なひとり寝のため、ついつい寝過ごしてしまいました。宮中からですか」
「ええ。朱雀院への行幸(ぎょうこう)の件ですが、今日、楽人や舞人が決定される旨、昨夜お聞きしましたゆえ、左大臣にお伝えしようと退出して来たのです。すぐに宮中にもどります」
「それでは、一緒に参内しましょう」
ふたりはお粥(かゆ)や強飯(こわいい)で腹を満たしてから、一台の牛車に相乗りした。
「まだ、眠そうですね。よほど隠し事が多いのでしょう」
その日は、いろんな事柄が取り決められたので、源氏は一日中、宮中にいた。
末摘花にはせめて後朝(きぬぎぬ)の手紙だけでも送らねばかわいそうだと思い、夕方にやっと出した。
常陸宮邸では、後朝の手紙が届くはずの時刻が過ぎても何の音沙汰もないので、命婦は気が気でなかった。
「これでは、姫君があまりにもお気の毒だわ」
末摘花はまだ昨晩のことを恥ずかしく思い続けていて、今朝くるはずの後朝の手紙が日が暮れてから届いたことが礼を欠くことてあることに気がついていなかった。
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アイドルもここまてくると、自分のイメージを損ねるようなことを平気で口にするようです。
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