紫式部in紫式部公園 福井県越前市
祇園祭 7月1日(火)~7月31日(木)
紫式部は、美人の容貌は興味なさそうにさらっと書き流すが、ブサイクの場合はなかなかどうして辛辣である。
「なぜ、これほどまでに。少女のころに何かあったのだろうか」
作者の真意と理由を探りたくなるほどだ。
末摘花の醜悪な顔の造作を戯画的で滑稽ととるか、作者の醜いものに対する悪意ととるか人それぞれだろう。
前者のばあいは長大な物語の中にひとつ滑稽譚をはさみたかったのかも知れないし、後者のばあいは紫式部自身が容姿のことで何かしら心に傷を負っていたのかも知れない。
源氏は常陸宮邸に通うようになって数日後、雪明りの中ではじめて末摘花の顔をみることになる。
源氏にしても頭中将にしても、末摘花に恋文(和歌)を書いているときは、小野小町のような美女に求愛しているつもりだったのではないだろうか。
当時の男たちは、相手の容姿も人柄もまるで知らないままに恋文をおくっていた。
女に関する情報といえば世の中にたっている噂と、お付きの女房たちが姫君の婚活のために世間に流す宣伝文句ぐらいである。
学校に通ったり、スーパーに買い物に出かけたりはしない。
男たちはどんな女を想像して求愛の歌を詠んだのだろうか。
平成の世では、身近にいる女だけではなく女優や歌手やアイドルやスポーツ選手などたくさんのサンプルがあって、その中から好みのタイプを思い描きながら、求愛の和歌を詠むことができる。
しかし、平安時代にはテレビやパソコンはおろか映画館もなく、しかも閉鎖的な身分社会である。
容姿と人柄を知る異性の数は、ごく限られていたはずだ。
「どこそこに妙齢の女がいる」と聞いた男たちは、相手を知らないままに恋の歌を詠んで送る。
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」を実践して、同じ和歌を複数の女におくる剛の者もいたかもしれない。
それを女房たちが、その男の身分と将来性そして和歌の巧拙と筆跡などをチェックした。
彼女らのお眼鏡にかなう男がいれば、その和歌を姫君にわたして姫君が返歌する。
そして、男が三夜続けて通ってきたら結婚ということになる。
命婦は、「姫君に会いたい」という源氏の望みをむげに断るわけにもいかず、まず物越しにふたりを会わせることにした。
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