後白河法皇
頼朝が、北条時政に6万騎を預けて義経追討のため上洛させるという噂が流れた。
義経は、宇治と勢田の橋を落として防戦しようとも思ったが、やはり衆寡敵せず。
いったん九州方面へ落ち延びることにした。
そして、緒方維義に、「力を貸してほしい」ともちかける。
維義は源平合戦のころ、平家一門を九州に入れず追い返したほどの有力者である。
「義経殿の家人の菊地高直は、わたしの年来の敵。身柄をもらい受けたあと味方しましょう」
義経がためらわず引き渡すと、すぐに高直を六条河原へ引き出した。
文治元年(1185)11月2日、義経は院の御所に参上し、大蔵卿の高階泰経を通して後白河法皇に奏聞する。
「今さら申し上げることではありませんが、一の谷から壇の浦まで、平家を攻め滅ぼして世を鎮めたのは、この義経です。褒賞を頂けるところなのに、鎌倉の頼朝は御家人たちの讒言によって私を討とうとしております。
宇治と勢田の橋を落として防戦しようとも思いますが、それでは都が戦場になりましょう。いったん、九州方面へ落ちます。どうか、院の御下文(くだしぶみ:命令文書)を一通頂けないでしょうか。一生のお願いでございます」
後白河は、どうすべきか公卿たちに相談した。
「頼朝がこのことを聞いたら、どう思うだろうか」
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