高野川と賀茂川の合流地点
壇ノ浦合戦に敗れて生け捕りになって以来、父と子の初めての顔合わせだったのだ。
重房が、義経に尋ねた。
「若君を、どのように取り計らいましょう」
「鎌倉へ連れて行くには及ばない。お前に任せる」
重房は屋敷に戻って、女房たちに伝えた。
「宗盛殿は明日、関東へ下向される。私もお供する。若君を緒方維義に預けるから、今すぐ連れてきてほしい」
重房が寄越した車に、義宗は女房たちと一緒に乗った。
「また、昨日のように父上と会えるんだね」
無邪気に喜んでいる様子がいじらしい。
だが、車は父のいる義経の屋敷の方角ではなく、六条通りを東へ進んで賀茂の河原に着いた。
「どうも様子がおかしい」と女房たちが不安がっていると、50~60騎の鎌倉武士が河原に現れた。
すぐに義宗の車を止めて、地面に敷皮を敷いた。
「若君、お降り下さい」
義宗は心細くなって、女房たちに、「私をどこへ連れていくつもりだ」と尋ねたが、事情を呑み込めない女房たちは何の返事もできない。
義宗は、敷皮に座るよう促された。
重房の部下が、義宗の背後に回って太刀を振り下ろそうとした時、女房たちが義宗をかばうように左右から抱きしめた。
「若君の代わりに、私たちを殺して下さい」
天を仰ぎ地に伏して、悲痛な叫びをあげる。
暫くして、今にも泣きそうに顔をゆがめた重房がやって来た。
「もはや、どうにもならないのです」
義宗を女房たちから引きはがすと、腰の刀で首を刎ねた。
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政権交代可能な二大政党制を目指してきたはずが、12政党の乱立。
政治の安定しないイタリアに追いつき追い越せである。
一党独裁の中国に比べたら、いいのかも知れないが……。
ただ、政策以前の、人としての資質の問題として、
自分の選挙のために(泥船)を逃げ出し、(今)勢いのある海の物とも山の物ともつかぬ出来たての政党にしがみついた卑怯卑劣な輩には是非とも退場してもらわねばならない。