源氏物語
35帖若菜下
源氏:41~47 紫の上33~39 女三宮15~21 夕霧20~26
明石の君:32~38 明石女御:13~19 柏木:25~31㊷
髭黒左大将36~42 玉鬘27~33 冷泉帝23
酒井雄哉
天台宗の僧侶 1926~2013年
大阿闍梨&大僧正
比叡山延暦寺の「千日回峰行」を2度満行した行者
・天台宗(最澄)の比叡山で学んだ人物(僧侶)を何人ご存知ですか
鎌倉仏教の「開祖」を5名、思いつかれるでしょう。
・真言宗(空海)の高野山で学んだ人物(僧侶)を何人ご存知ですか
こちらは、どうですか。
この違いは何によるのでしょう
著書だったか雑誌の座談会における発言だったか忘れましたが
故司馬遼太郎氏によると、
空海の「真言宗」は完全無欠な教義で
何ら補足することも修正することもないので、
宗門から英才が現われなかったということでした。
一方、最澄の「天台宗」は--。
紫の上、
「ご懐妊中なのに、もし物の怪などに憑かれでもされたら怖ろしゅうございます。
早く、【宮中】にお戻りください」
それから明石女御の傍に座っている可愛らしい若宮に気がつくと、紫の上は声を上げて泣いた。
若宮は紫の上にとって義理の孫にあたる
「若宮が成長されたお姿を拝見することはもう叶わないのですね。
わたしのことなど、すぐにお忘れになられましょう」
明石女御の頬には幾筋もの涙が伝っている。
源氏は、
「そのような不吉なことをお考えになってはいけません。
ただの病気です。
人は気の持ちようで、どうにでもなります。
あなたのように温厚な人は長生きするものですよ」
祈祷の阿闍梨や高僧たちは、源氏が憔悴しきっている様子を目の当たりにするのは初めてだった。
阿闍梨
真言宗や天台宗などの密教系で用いられる
弟子の模範になれる高位の僧侶
その姿が何とも労しいので、いっそう気持ちを込めて祈祷に励んだ。
紫の上は少し状態の良い日が5、6日続いたかと思うとまた重体に陥るという状態を幾度となく繰り返した。
手越祐也
ジャニーズ時代は軽薄な「遊び人」という
イメージが先行していたが歌声と考え方はなかなか。