源氏物語
35帖若菜下
源氏:41~47 紫の上33~39 女三宮15~21 夕霧20~26
明石の君:32~38 明石女御:13~19 柏木:25~31
髭黒左大将36~42 玉鬘27~33 冷泉帝23~29
京都盆地鳥瞰図
現在の位置を示している「御所」や
平安時代にはない「東・西本願寺」など、
今と往時の建物や配置が混在しています。
平安京
桓武帝の延暦13(794) 年から、
1180年の平清盛の福原遷都を除いて、
明治2/1869年の東京遷都まで千年余の都。
大内裏は北辺中央。
大内裏
内裏を中心として政府諸官庁の置かれた区画。
今の東京の、皇居~霞が関~永田町。
内裏
帝の住居(清涼殿2)を中心とする区域。
御所、皇居、禁裏、禁中、大内とも。
清涼殿
帝が日々私的に暮らした殿舎。
左下に、「殿上の間」
殿上の間/殿上
公卿や殿上人が伺候した部屋。
殿上人が詰めて帝に奉仕したり、
公卿が会議を開き事務を執ったりした。
源氏は心の中でつぶやく、
「朱雀院は来年ちょうど五十歳におなりになる。
ただ在俗ではなく出家しておられるので、その限りにおいて心を尽くして『五十の賀』のお祝いをしよう。
そういえば、院は若い頃から音楽にとても造詣が深かった」
さっそく舞人や楽人など、各分野の名手を揃えた。
身近では髭黒右大臣と玉に鬘の子息二人、夕霧左大将の子息は正妻・雲井の雁腹の二人に藤典侍腹の子を加えて三人も加えた。
七歳以上の小さな子息たちには*童殿上させる。
*童殿上
わらわてんじょう
平安時代、宮中の作法を見習うため
元服前の貴族の子息が殿上の奉仕を許された。
ほかに兵部卿宮のお子の童孫王ほか、しかるべき宮家のお子たちや名門のお子たちから選抜した。
*殿上人からは器量が良く舞い姿の美しい人々を選んだ。
*殿上人
清涼殿の「殿上の間」に昇殿し、帝の側近に仕える資格のる貴族。
朱雀院の「五十の賀」という晴れ舞台とあって選ばれた者たちが懸命に練習に励むので、その道々の名人たちが忙しく指導している。
朱雀院はある日、ふと朱雀院の脳裏をよぎった。
「女三宮に習得させてきた琴の腕前は、今頃どの程度であろうか。
こんど訪ねてくれる機会にぜひ聴きたいものだ」