平忠盛と祇園女御
思えば、主だった平家の人々で一門の栄枯盛衰のすべてを見知っているのは、二位の尼・時子だけである。
伊勢国の受領から、太政大臣に上りつめて我が世の春を謳歌したものの、清盛後にリーダーを得ず、源氏に追われて瀬戸内海の海に散った平家。
盛者必滅の見本を示すためにのみ、歴史に登場したかのような一族。
それらの全てを、時子はただ一人、平氏の一員として痛切に体験した。
義父である忠盛が、北面の武士からその才覚と胆力と財力をもって清涼殿への昇殿を許されて、貴族への仲間入りを果たした。
そして、忠盛からバトンを受けた夫の清盛が、昇竜の勢いでまたたくまに天下の覇権をにぎる。
大づかみに言うと、忠盛が一門の抬頭期をにない、清盛が全盛期へと導いた。
だが、一門の繁栄を築き上げた清盛は、平家がまだ我が世の春を謳歌していたころ、病に伏して他界してしまった。
ということは、忠盛は上り坂のみを、清盛は上り坂と絶頂期を知っている。
ふたりとも、衰退期を知らない。
時子の実子ではないが、保元・平治の乱で活躍した嫡男の重盛もまた父・清盛に先立っているので、上り坂と華やかなりし頃は見知っているが、下り坂を知らない。
実子である宗盛以下の子供たちが物心ついた頃には、父・清盛はすでに中央政界の大立者にのし上がっていた。
いはば彼らは、生まれながらの公達である。
だが、彼らが都大路を肩で風を切って歩いたのは束の間。
義仲や義経に追われて西国へ逃れ、壇ノ浦の藻屑と消えた。
つまり、清盛の子供と孫らは発展期を知らず、頂きと下降期と奈落の底を知る。
ただひとり、清盛とともに平家の隆盛を築いた二位尼・時子だけが、一門の栄枯盛衰すべての歩みを見届けてから、孫の安徳天皇を抱いて、海に身をひるがえした。
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